
当たり前のように巻き込んだ受験戦争
――西田さんの場合は、不登校になる予感というようなものはありましたか?
- <西田>
- ありました。私の場合、上の子二人が受験、受験でやってきましたので、当然、下の子も受験させようと思っており、習い事のほか、小学校四年の後半からは学習塾にも入れていました。その頃は主人の仕事の都合で大阪にいたのですが、六年生で東京に戻ってきてからは、東京は大変な受験戦争ということで、子どもには遊びたい気持ちがあったと思うのですが、それを無視して受験勉強漬けにさせていました。
- ただ、六年生で修学旅行に行ったときに熱を出し、迎えに行ったんですが、その頃から体調を崩し始め、学習塾にもなかなか行けなくなってきました。それでも夏が過ぎれば、もう天王山ということで、家庭教師をつけまして。各教科一人ずつ!
- <一同>
- えーっ。
- <西田>
- もの凄い勢いでした。これを乗り切れば、あなたも楽になる、私も楽になると、息子にも自分にも言い聞かせてやっていました。ただ、その頃から非常につらそうでしたので、主人に言っていたんです。「この子には受験は合わないかもしれないから、もうやめさせましょう」と。不登校する予感はうすうすあり、受験勉強させることに後ろめたい気持ちも持っていました。でも、子どもに「もうやめよう」と言うと、「これまで勉強させておいて、なんだ!」と言いますし…。
- 東京では中学受験する率が高く、家庭教師をつけてやっていたお子さんは他にもいましたし、もう止まれなくなっちゃったんですね。とにかく、勉強でもスポーツでも鍛えてもらえるような学校に入って、そういう教育を受けさせよう、願わくば、そこから主人の望む大学に入ってくれればと、そんな風に考えていました。
- 目先のことしか考えていなかったんです。放課後、校庭でずっと遊んだ後も、友達の家で遊んでいたりしたので、「もう家庭教師の先生が来るわよ」とせかして帰す、そんな毎日でした。ただ、そのときから、「これって、いつかどこかでほころびが出てくるんじゃないかな」という気持ちはありました。


